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西洋美術史から見た真珠 – 第1回 ヴェネツィアの真珠

2017.07.21

「アドリア海の女王」、「水の都」、そして「アドリア海の真珠」などの別名を持つヴェネツィアは、現在でこそイタリア共和国の主要都市のひとつですが、長年にわたり繁栄を誇ったヴェネツィア共和国の首都でした。

16世紀、ヴェネツィアではフィレンツェや他のイタリア都市より1世紀ほど遅れてルネサンスが開花し、輝かしいヴェネツィア絵画の黄金時代を迎えます。

「ヴィーナスとオルガン奏者とキューピッド」 1555年頃 150x218cm プラド美術館

そのヴェネツィア派最大の巨匠が、「色彩の魔術師」ことティツィアーノでした。神話などをテーマにした歴史画だけでなく、肖像画にも長けていたティツィアーノには、イタリア各地の王侯貴族たちからも注文が殺到しました。ローマ教皇パウルス3世やフランス王フランソワ1世、そしてスペイン王カルロス1世とフェリペ2世親子からは2代にわたり庇護されるなど、ティツィアーノの名声はヨーロッパ中に轟いたのでした。

また、16世紀のヨーロッパにおけるファッションの発信地でもあったのがヴェネツィアです。ルネサンス一の才女と誉れ高いマントヴァ侯妃イザベラ・デステも、肖像画は自分の宮廷画家ではなくティツィアーノに注文したように、ファッションや宝石などの装飾品もヴェネツィアから取り寄せていました。

伝統的にダイヤモンドやルビーなどの貴石が、「権威」や「威信」の象徴といった男性的なイメージだったのに対し、真珠は「愛」と「美」の女神ヴィーナスの持物とされるように女性的な宝石です。

美と完璧さの象徴である真珠は、長年にわたり愛の宝石とされてきました。ティツィアーノが描いたヴィーナスも、見事な真珠の装身具を身に着けています。楽器の演奏は愛の行為を示唆しますが、奏者と目も合わせずお互いに触れてもいないのは、プラトニック・ラブを表しているとされています。

長いジュエリーの歴史と文化を持つ西洋では、花言葉と同様に宝石にも意味があります。アメリカの上流階級では、10代の少女に贈る最初の宝石は伝統的に真珠でした。ルネサンス時代以降、真珠はキリスト教が重んじる処女性や純潔に結び付けられる「美と完全」の普遍的な象徴だからです。

ティツィアーノ(1488頃~1576)「イザベラ・デステの肖像」1534~ 36年 102x64cm ウィーン美術史美術館

聖母マリアの宝石も真珠です。結婚式でヴァージン・ロードを歩く花嫁のアクセサリーが、真珠のネックレスとイヤリングだけなのはそのためなのです。したがって、イザベラ・デステの頭上を飾る真珠の装身具も彼女の貞節さを表しており、すなわちマントヴァ侯家の名誉の象徴でもあるのでした。

純潔や貞節となった真珠は、絵画のテーマを伝えるために重要なモティーフとなっていきます。ティツィアーノと並ぶヴェネツィア派の巨匠ヴェロネーゼは、ヴェネツィアが16世紀に演劇と音楽におけるヨーロッパの最先端の地だっただけあり、まるで華やかな祝祭や舞台を観ているような、幻想的で演劇性の強い世界を描きました。彼が描く衣装も、「ファッションの都」ヴェネツィアらしく華麗で美しく、当時の最先端の趣味や風俗がうかがえる点も魅力です。

左:パオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)「ルクレティア」1580~83年 109x90.5cm ウィーン美術史美術館/右:パオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)「ホロフェルネスの首を持つユーディット」1583~85年 111x100.5cm ウィーン美術史美術館

ヴェロネーゼが描いたルクレティアとユディトは、それぞれに古代ローマ史と旧約聖書に登場する貞節な人妻と未亡人でした。彼女たちの金髪や肌の美しさを際立たせている真珠は、二人の「美徳」も輝かせているのです。

ただし、聖母やヴァネツィア絵画のヒロインたちが身に着ける見事な真珠は、当時の標準的な真珠からはかけ離れたものでした。人々が憧れ、そして通常では手が届かない眩いばかりに白く輝き、完璧な形をした大きな真珠。それは人間の純潔や貞節と同じように、尊いものの象徴であったのです。

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